レオ・アルドナート
CV:皇帝
SAMPLE VOICE 01
SAMPLE VOICE 02
あらすじ

「泥にまみれようと、地べたを這いずってでも、生き抜け――」


ティリア王国 アルドナート公爵家の娘であるあなたは隣国のラウルス王家に嫁ぐことが決まった。
そんなあなたの結婚を祝い、流行りの仮面舞踏会が開催される。
仮面を着け、煌びやかに装った男女が秘密の匂いを纏う、華やかな夜。
娘として自由でいられる最後の楽しい思い出になるはずだった――。

舞踏会は不満を持った平民たちの突然の乱入により、大混乱に陥る。
混乱の中控えの間に逃げたあなたがそこで見たものは
血まみれで倒れている公爵――父と、父を手にかけている腹違いの弟レオだった。


※本作は2種類のエピローグが収録されております。
お好きなエンディングを選んでお楽しみいただけます。

※本シリーズは全3巻で構成されております。
1巻ごとに完結しておりますが物語は繋がっておりますので、
3巻全てお聞きいただくとよりお楽しみいただけます。
キャラクター紹介
あなたの腹違いの弟。
アルドナート家正統後継者である長男・ノエルが病弱だった為、
彼に万一のことがあった時の代わりとして公爵の妾であった母とともに引き取られる。
しかし、その後正妻との間に末弟が誕生した為事実上用無しとなった。
周囲からは不貞の子として蔑まれ、態度が乱暴で野蛮なこともあり使用人等の間で「公爵家に恨みを持っている」と噂されている。
世界観
【アルドナート公爵家】
ティリア王家の傍流で王位継承権を持つ。
近親婚を繰り返し行っていた家系であり、その結果狂気に堕ちた血筋として『血まみれ王妃』を輩出してしまった為、現在は近親婚の頻度が減っている。
過去に王妃を輩出していることから身分としては王家に次ぐが、『血まみれ王妃』の伝説によりアルドナート家の者が王位を継ぐことはない。

【血まみれ王妃】
400年前にティリア第四王子へ嫁いだアルドナート公爵家令嬢。
その美貌は国を傾けるとまで言われた絶世の美女。
第一、第二、第三王子が相次いで早世や失墜し、第四王子が王位を継ぐことに。娘が王妃となったことで公爵家の位階は一気に上がり、隆盛を誇る。
やがて王妃は狂気に堕ち、色香で骨抜きにした王を傀儡として王室を支配すると同時に圧政を敷き、民衆を恐怖で縛り上げた。
投獄と死刑が王都の日常となっただけでなく、王妃は自らの愉しみのために奴隷を嬲り殺すようになる。
そこから激化して若い男の生き血を集めて浴びたり、切り取った臓器や性器を瓶詰めにして収集したり、猟奇的な性倒錯者へと変化していったとまことしやかに伝えられている。

【ラウルス王国】
ラウルス王家が治めているティリア王国の隣に位置している国。
ティリア王国と同様に小国で、国力は拮抗。50年ほど前に起こった戦争を経て現在は和平を保っているが、
古い世代を中心に確執が残っており、薄氷を踏むが如くの緊張感がある。


相関図


発売日
2019年2月28日(木)
定価
¥2,420円(税抜価格2,200円)
JAN
4520424256587
品番
HBGL-016
シナリオ
高岡果輪
イラスト
一野
企画・ディレクション
黒抹茶
ジャンル
女性向けシチュエーションCD
(18歳以上推奨)
DL版の購入はコチラ
特典情報
特典付き限定版はこちら
通常版はこちら
ドラマCD SAMPLE
ドラマCD
バッドエンドアフター「籠の鳥」
※Hシーン有
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通常版はこちら
ドラマCD SAMPLE
ドラマCD
ブロマイド
トラック5.5「相愛」
※Hシーン有

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ドラマCD SAMPLE
ドラマCD
SSペーパー
ハッピーエンドアフター「月夜の舞踏会」
※Hシーン有
ショートストーリー

離宮といえば聞こえはいいが、広い公爵邸の中でもこの別邸は隔離部屋のようなものだろう。
使用人すら嫌がってろくに近付かない、そんな荒れ果てた館にもその瀟洒な封筒はきちんと届いた。
「結婚を祝う、舞踏会の招待状、ね……こんな弟にまで律儀なことだ」
公爵家の姫君――腹違いの姉は、近々隣国のラウルス王太子の許へ嫁いでいく。
あからさまな政略結婚ではあるが、長く続いた戦の後ずっと一触即発の緊張状態だった二国の関係が改善されるとこのティリア王国中が祝賀ムードだ。
「お姫様ってのはどこまでも平和でお気楽だな。娼婦の子がそんな正式な席に出ていく訳にはいかねぇだろ」
公爵家の紋章が刻まれた立派なカードを見れば、舌打ちしたくなるばかりだ。
メゾン・クローズ。高級娼館の娼婦が、アルドナート公爵様の胤で男子を産んだ。
嫡男は生まれた時から幾度も死の淵をさまようほど身体が弱く、とても公爵家を継げる身体ではない。早く跡継ぎをと焦るが、奥方様が次に授かったのは女の子だった。
そんな折りに、愛人との間に男子が産まれてしまった。
赤ん坊だった俺は当然知らないが、それはもう大騒ぎになったらしい。
病弱な嫡男ノエル様の代わりになるように。この先、高き血統で男子が産まれなかった時のために。
そんな理由で娼館から母子共に引き取られ、アルドナート姓は賜ったものの所詮は下賤の血。公爵家に仕えるメイドや下働きすら、俺たちよりよほど身元はしっかりしている。
貴族からは蔑まれ、使用人たちからも見下され、敷地の外れにある別邸に押し込められてこの扱いだ。

(弟、なんて名ばかりなんだよ)
親愛なる弟へ、と封筒に綴られた姉上の筆跡を指で辿り、唇を噛み締める。
レオ・アルドナートとなってから、最悪の状況となっても公爵位を継げるようにとずっと厳しい教育を受けさせられてきた。
幸いにも第二夫人との間に次男のユーリ様が生まれたことで跡継ぎからは除外されたが、次期公爵に万一のことがあった時のために。未だ幼い弟に代わって現公爵の補佐を務めるノエル様の手助けをするために。そして……いざという時は、彼らの影武者となるように。
俺は都合のいいスペアとして、この公爵家に居る。ただ、それだけだ。
「どんな顔をしてあんたを祝えっていうんだよ、姉上」
重厚なカードと封筒を重ね、破り捨ててしまおうとした時……ふと、中にまだ紙片が入っていることに気付いた。
「なんだ、この紙切れ……?」
正式な招待状の影にひっそりと隠すようにして添えられていた小さな手紙。どう見ても私信だ。
こんな不作法なことを公爵家の姫君がしていいわけがない。もしも見つかれば、侍女長や近衛騎士団長のクロヴィスから大目玉を喰らうだろう。
「ったく、なにやってんだ……!」
破り捨てるだけでなく燃やしておかねばと、俺は薄くたおやかな紙を開く。
そこには、"親愛なる弟へ"と書かれた宛名と同じ……優しい筆跡が並んでいた。

『私がアルドナート家にいられるのもあと少し。最後の思い出となる夜だから、久し振りにあなたの顔を見られたら嬉しいわ』

小さな紙に綴られた、俺への言葉――俺だけへの、姉上の言葉。
祝賀で行われるのは堅苦しい夜会ではなく、仮面舞踏会にしてもらったということ。だから、あなたも気兼ねなく来て欲しいと書かれていた。
「仮面舞踏会か……姉上らしくねぇな」
ミステリアスな遊びとして貴族たちの間で大流行しているらしいが、彼女に似合わなさすぎて思わず苦笑が漏れてしまう。
娘でいられる間に一度くらいは羽目を外してみたかったのか、それとも――
(仮面を着け、正体を隠して楽しむ……)
正式な祝賀の席に姉上がわざわざそれを選んだのは、単に流行りというだけでない。
不義の子である俺を出席しやすくするためだろうな、と……どうしても思い至ってしまう。
「はっ、馬鹿じゃねぇの」
盛大に舌打ちしてから、蝋燭の炎に柔らかな紙片をかざす。あっという間に燃え落ちたそれは俺の指を少し焦がした。
「……くそっ」
じんじんと痛む指先と、胸の奥。
俺は破りかけた招待状の皺を伸ばし、そっと机の抽斗にしまった。


【7days ago】END

「ほらよ、お前の取り分だ」
「ああ」
この辺りの賭場を仕切っている男から幾ばくかの金を受け取り、ポケットへ無雑作に突っ込む。面倒な案件だったが、まあまあの上がりだろう。
「なあ、レオ。もっといい儲け話があるんだが乗らないか。お前なら、西のシマを任せてやっても――」
「何度も断ってるだろ。俺は自分の食い扶持が稼げれば充分なんだよ」
誘いと同時に差し出してきた煙草も固辞し、俺は首を横に振る。こうして下町で仕事をしている理由は、それ以上でも以下でもない。
「もったいねぇなあ。お前はお貴族様で飼い殺しされるタマじゃないだろーが。その腕と頭がありゃ、すぐにのし上がれるぞ」
「ははっ、アンタは俺を買い被りすぎだ。この程度が身の丈にあってるんだよ」
じゃあな、と手を振り、下町の中でも最下層と呼ばれるスラム街へと足を向ける。ここは昼でも陽が差さず、いつだって薄暗い町だ。
(同じ国とは思えねぇな……)
公爵家をはじめとする、高位貴族たちの豪奢な暮らし。ティリア王宮の煌びやかさ。
光が強くなればなるほど、影もまた濃くなるのだと誰が言っただろうか。

「あらぁ、レオじゃないの! こっちまで来るのは久しぶりじゃない?」
「稼いできたんでしょ、寄っていきなよ。あんたなら、料金以上にたっぷりサービスしてあげるわよ」
場末の酒場や街娼の女たちが、老いても尚ねっとりとした声で次々と俺にしなだれかかってくる。
安っぽい白粉やどぎつい香水の匂いに思わず顔を顰めそうになるが、彼女たちの顔に刻まれている色濃い苦労の跡を見れば胸が痛んだ。
「あんたらも相変わらずだな。ガキどもは元気にやってんのかよ」
「元気元気! 一番下の子も5歳になったし、兄ちゃんと一緒に靴磨きやってるもの。働き手が増えて助かるわあ」
『女』を売り物にしている彼女たちも、立派な『母』だ。
豪快に笑う彼女の子どもは6人兄妹で、一番上の娘はまだあどけない少女だが既に身体を売っているという。下町の子はこうして働かねば生きていけない。
「酒の代金だ。これで、服でも買ってやれ」
女がラッパ飲みしていた酒瓶を取り、代わりに紙幣を数枚胸元にねじ込んでやる。その瞬間、男どもの下卑た声が俺の耳に届いた。
「おいおい、見ろよ。公爵家のお坊ちゃんはゴミ溜めの町の王子様だな」
「囲われ者のママのおかげでせっかく成り上がったのに、下々の暮らしに興味がお有りですか~?」
「辺り構わず子種まき散らして、テメェの母親のように孕ませて、公爵家へ商売女をどんどん連れてってやるつもりかよ」
品の欠片もなくげらげらと笑われ、馬鹿馬鹿しくて肩をすくめたくなる。
俺が"手伝った"仕事のおかげで儲けが潰されて散々なチンピラ集団だろうが、いちいち相手にするほど暇ではない。
言い返そうとする女たちをそっと下がらせ、面倒事になる前に帰ろうときびすを返そうとした。
「ま、公爵家っても必死になって政略結婚を成立させるくらい落ち目だしなあ。アルドナートのお姫様も可哀想に、敵国の奴隷にされるようなものじゃねぇか」
「ラウルス王太子妃なんていっても、なぶり者にされるだけで売女と同じじゃん。メゾン・クローズの娼婦に跡継ぎを生ませた父親は、自分の娘も娼婦にしちまうんだからどれだけ好き者なんだよってなー」
「あの綺麗なお姫様なら、あっちの方も極上だろ。ラウルスもいい買い物なんじゃねぇの」
何が面白いのか、男どもは腹を抱えて笑っている。耳にするのも堪えがたい不快な笑い声が、饐えた空気の籠もるゴミ溜めの町へ響き渡る。
俺はひとつ息を吸うと、汚れた石畳を強く蹴った。
「――黙れ」
「……っ、ひぃっ!?」
一蹴りで瞬時に男どもとの距離を詰め、壁に叩きつけて割った酒瓶をリーダー格の喉元に突き付ける。
「相手にするまでもないと無視してやってたが、そろそろお仕置きが必要か? なぁ?」
鋭い破先を皮膚に食い込ませ、じりじりと横に引く。肉が裂ける嫌な感触と共に、赤暗色の血液が俺の顔にまで飛び散った。
「てめぇが相手にしてるのは、誰だ? 俺の名を言ってみろ。口にすることを特別に許してやる」
「レ、レオ……」
「そうだ。アルドナートだろうとなんだろうと、俺はレオだ。このスラム街の頭を倒した男の名を、忘れたか?」
ガラスで切り裂くだけでなく片手で喉仏を締めつけて凄んでやると、男はがくがくと震えるばかりで既に言葉を発することができなくなっていた。
「わ、悪かった! あんたにはもう逆らわねぇ! だからもう離してやってくれ、死んじまうよぉ」
「……二度はねぇぞ。その薄っぺらい頭にしっかり刻み込んでおけ」
懇願する仲間どもに免じて、男を放ってやる。腰が抜けたように逃げていく無様な後ろ姿を見送り、俺は眉間に皺を寄せた。

(それにしても、妙だな……)
あの集団は前から何かと突っかかっては来たが、ここまで命知らずなことまで言う奴らではなかった。
下町での"仕事"をしている間も住民たちの小競り合いが多いと感じたし、空気が荒んでいるというか……淀んでいる。
姉上がラウルスへ嫁ぐ日が近づき、国中が祝福しているはずなのに。これも、単に光と影の関係性なのだろうか。
「ふん……気にしすぎか」
汚い血に汚れた手と頬を拭い、俺は陽の差さない下町の空を見上げる。視界にはどんよりと重い灰色の雲が映るばかりだった。


【6days ago】END

「くっそ……下手打っちまったな」
口の中に溜まった血を路上に吐き出し、俺は夜道を急ぐ。
いつもはうまく躱せるのだが、今日は荒くれ共と一戦交えることになってしまった。
下町で稼ぐことは常に危険と隣り合わせだ。怪我くらい珍しくはないし、犯罪者を相手取って力ずくで言うことを聞かさなければならない場合だってある。
それでも、満身創痍の身体はずきずきと痛むし、泥と血にまみれてボロボロに破れた服が目に入るとげんなりするものだ。
(歯が折れなかっただけ御の字だが、こういう仕事は勘弁して欲しいもんだぜ……)
俺は公爵家の重厚な正門ではなく、主に使用人たちが使っている裏門の方へと回る。
くすねておいた鍵は持っているし、門番のいないこっちからならこっそりと外れの別邸へ戻れるはずだ。
(よし、誰もいねぇな)
足音を潜め、細く開けた門の隙間から身体を滑り込ませる。まるで泥棒のような身のこなしだが、堂々と入ってこの姿を見とがめられるよりはマシだ。
「はぁ……疲れた」
手入れされず荒れ果てたボロ屋敷だろうとなんだろうと、一刻も早く部屋に戻って横になりたい。
ひとりでぎゅっと身体を固くして、目を閉じて眠ってしまえば、痛みも苦しみも寂しさも何もかもわからなくなる。小さい頃から俺はいつもそうしてきた。だから、今日だって大丈夫だ。

「――そこにいるのは誰だ?」
「…………ッ!?」
唐突に、暗闇の向こうから冷たく澄んだ声で呼び止められ、俺はぎくりと足を止める。
(マジかよ……この声は……)
どうにか逃げ出せないものかと考えを巡らせるが、身体中の傷が痛んで頭の中がまとまらない。
そうこうしている内に、かちりと音を立てて点けられたランタンの灯りを向けられた。
「っ、眩し……」
「レオ?」
眩い灯りを持って不審げに俺を睨むのは、ノエル様と姉上の第一の騎士――近衛騎士団長のクロヴィス・オルランディだ。
オルランディ士爵はアルドナート公爵家に代々仕える騎士の一族であり、クロヴィスもまた同様に忠誠を誓っている。
眉目秀麗、清廉潔白。彼は民の理想を体現する騎士の中の騎士であり、まるで絵本や夢物語から抜け出てきたような完璧な騎士団長様だった。
「こんな時間まで街で夜遊びか。……野良犬が」
「うるせぇな。あんたには関係ねぇだろ」
聖騎士の位を持つクロヴィスは姉上の世話係も兼ねていて、立派な姫君としての行いや礼儀作法にとことん口うるさい。
だからこそ、娼婦の子である俺を毛嫌いし、ひどく厳しく当たっていた。
幼い頃は公爵家の教育の場で姉上と共に学ぶ授業もあったが、その時から既に顔を合わせれば雑種だの野良犬だのと蔑まれ、姉上に近付かないようにとガードされる。
(まあ、そりゃそうだよな)
第一の騎士ならば、汚いものから姫君を守らなくてはならない。下賤の血を引く俺を敵視するのも当然だろう。
それがこいつの仕事なのだから、別に俺自身はクロヴィスのことを憎んではいない。むしろ、ノエル様と姉上を守護するのが有能なこいつでよかったと思うくらいだ。
決して、嫌いではない。……まあ、苦手ではあるが。

「姫様はティリア王国とラウルスを繋ぐ大切な婚姻を控えていらっしゃる。公爵家にとっても大切な時期だ。妾の子とはいえお前もアルドナートの名を持つことを許されているのだから、立場を弁えてくだらない遊びは慎め」
「はいはい、わかりましたよ。ナイト様」
「…………」
騎士(ナイト)と士爵(ナイト)の二つの意味を込めてそう呼びかけると、彼は一瞬だけ泣き出しそうに表情を曇らせた。
「……? クロヴィス?」
「気安く呼ばないでもらおう」
ふいと顔を背けられ、近付くなと言うように声が冷たくなる。なるほど、氷の騎士団長様と呼ばれる二つ名は伊達ではない。
「俺だって、あんたと話すことなんてねぇし。じゃあな」
「待て」
「あぁ? なんだよ、まだ何か――」
足早に通り過ぎようとすると、また呼び止められる。これ以上の説教は無用だと言い返そうとして振り向くと……ぽいっと小さな袋を放られた。
「使え」
「なんだ、この小袋……」
これは騎士が携帯しているという薬袋だろうか。柔らかくなめした革にはオルランディ家の紋章が刻まれていて、中には清潔な手巾といくつかの膏薬や消毒薬が入っている。
「いくら仮面で隠れるといっても、傷の残った顔で姫様のめでたい席に出るなど許さない」
「……は?」
「さっさと治せ、汚い血で邸内を汚すな」
それだけを言い残すと、クロヴィスは俺に背を向けて館の方へと戻っていった。

「…………なんなんだよ、あいつ」
単なる気まぐれなのか、それとも……長年大切に守ってきた姫君の輿入れを目前にして、複雑な思いがあるのか。
「騎士ってのも大変そうだな」
俺はクロヴィスが歩いていった方とは逆に、裏庭を突っ切って別邸へと向かう。ここは火の気もなく真っ暗闇だから、歩き慣れていない人間だと足を取られて転んでしまうだろう。
「そういえば、クロヴィスはこんなところで何やってたんだ……?」
見回りでもしてるのかとも思ったが、よく考えるとおかしい。
(俺が来るまではランタンの明かりも点けず、真っ暗闇の中で――?)
首を傾げて考えてみるが、やっぱり考えはまとまらない。
まあ、氷の騎士団長様だって人間だ。ひとりになりたい時くらいあるのだろう。
(冷たい奴だけど、情ってのも一応はあるみたいだしな)
もしかしたら、ひとりで……泣きたい夜だってあるのかもしれない。
伸ばした先の手すら見えない闇の中で、俺は小さな革袋をそっと掌に握り込んだ。


【5days ago】END

数々の書類を揃え、抜けがないかノエル様に確認する。
「うん、これで揃っているよ。いつもありがとう、レオ」
「いえ……」
熱を出して伏せっているノエル様の声は苦しげで、こんな時も公爵補佐として仕事をしなければならない彼の重圧は如何ほどのものだろうか。
「あとはこれを会議の場で報告するだけなんだけど、やっぱり僕が行こうか? あの場に君が入るのは辛いだろう?」
ノエル様は優雅な仕草で羽ペンを滑らせて、書類の表紙に認証のサインを入れる。その横顔は持つペンすらも重そうに感じさせ、俺はぐっと唇を引き結んだ。
「レオ……?」
「俺が行きますから、ノエル様は休んでいてください。報告書を渡すくらい平気です」
「いいの? 助かるけど、無理はしないでおくれ」
「ノエル様こそ。お身体を第一に考えてください」
公爵家に引き取られてから厳しく叩き込まれた、舌を噛みそうになるほどの丁寧な言葉遣い。正確で美しい発音、貴族らしい立ち居振る舞い。
全部鬱陶しくて大嫌いなはずなのに、この方の前だとすんなりできる。
威圧的ではないのに、誰もが自然と頭を垂れてしまう品の良さ……これが本当に高貴な人の輝きなのだろう。
「ふふっ、君がいてくれてよかったなあ。僕ひとりだと、未だ幼いユーリが公爵位を継ぐ頃まで手助けできないだろうからね」
「そんなことは……」
悪い冗談だと笑い飛ばしてやりたいが、血管が透けそうなほど白い肌や骨が浮き上がっている細い手首を見ると、何も言えなくなる。
「でもね、大切な妹の花嫁姿を見られるまでは生きることができた。頑張ったよね、僕」
「まだまだ、たくさんの幸せを見なくてはなりませんよ。花嫁姿だけでなく、次は嫁いだ後に生まれる甥か姪を見てください」
「ああ……そうか。そんな楽しみもあったね! レオは賢い子だ」
懸命に明るく振る舞おうと微笑む彼の背を支え、細い身体を横たわらせる。
「じゃあ、行ってきます」
「……ありがとう。よろしく頼むよ」
熱の籠もった息を吐き、ノエル様は静かに瞳を閉じる。
子どもの頃よりは比べものにならないくらい丈夫になったと本人は言うが、今もたまにこうして高熱で倒れるのだから心配は尽きない。
本当に、いつふっといなくなってしまうかわからないほどの儚さと、薄命ならではの危うい美しさが彼にはあった。

挨拶をして公爵の執務室へ入ると、先にいたアルドナート領の諸侯たちが値踏みするようにじろじろと俺を眺める。
口には出さないが皆、ノエル様の代わりをする俺のことを内心で嘲笑っているのだろう。薄笑いを浮かべた口元や不躾な視線から、そのくらい簡単に読み取れた。
所領の収支と展望を順に発表していくが、会議内容はまったくもって発展性がない。ここ数年の天候不順や凶作もあって、どれも悪い報告ばかりだ。
「やはり、今年度はさらなる増税が必要かと」
「我が領も同じく、新たなる課税の承認を求めます。ご決断を、公爵!」
口を開けば増税、課税とそればかりだ。くだらない理由で新しい税金の項目ばかりを並べ立て、私腹を肥やす。
生きていくのがやっとの民を締め上げ、搾り取ることしか考えない貴族たちにうんざりする。
「……レオ。お前は、どう思うかね」
無視されることが常であるのに、不意に父上から水を向けられた俺は手元の書類に目を落とす。
ノエル様の案でも、最低限ではあるが税収を増やす項目が書かれている。他国からの輸入を増やし、国内外の流通に掛かる関税を上げる。相対的に物価は高くなるが、これなら少々苦しくなっても民の暮らしは立ち行くだろうし、ぎりぎりで何とかなる計算だ。
(でも……駄目だ。この方法じゃ長くは保たねぇ)
俺は書類を伏せ、顔を上げて父上に答えた。
「増税よりもまずは、産業の保護と援助を。幸い、アルドナート領は良質な絹の産地が揃っています。紡績業に注力し、諸侯から各社に援助をすれば雇用も安定して生産性が上がると考えます」
「はっ、平民出のお方らしい悠長なご意見ですなぁ。民は貴族のために身を粉にして働くもの。民の差し出す財を運用し、我ら貴族が領地を守る。政とはそういうものですぞ」
「お言葉ですが。干涸らびた財布を躍起になって振れば、貴公の後ろ暗い埃が出るだけでは? 搾取することしか頭に浮かばず、生み出し、育てることを忘れた領主に未来はありません」
「わ、若造が、生意気を言うな!」
禿げ上がった頭の天辺まで真っ赤にした貴族は机を叩いて憤る。呼応するように、他の諸侯からも不平の野次が飛ばされた。
(まあ、これも想定内だ)
最初から聞く耳を持たないなら、こいつらを黙らせるくらいの具体案で殴り飛ばしてやればいい。
「――父上。報告を続けてもよろしいですか」
「ああ、よかろう」
俺は頭の中で考えを組み立て、この案で短期的な収益を上げる方法と長期的な発展について述べていく。
嫡子であるノエル様の代理という名目でも、俺が言うことなどたとえ正しくても捨て置かれるだろう。ここはそういう場だ。
それでも俺は、今自分にできる最大限のことをする。
アルドナート公爵家の繁栄など正直どうでもいいが、病に耐えて懸命に生きているノエル様の代わりを務めるために。


【4days ago】END

20年前の帳簿が見たいとノエル様に頼まれ、俺は資料庫の地下へと潜り込んだ。
「うぇ……っ、すげぇホコリ……げほ、げほっ!」
雑然と積み上げられた中から目当ての物を探しだし、力任せに何とか数冊引き抜いて階上へと戻る。埃のみならず蜘蛛の巣までくっつけてきた俺を見て、ノエル様は驚いたように目を丸くした。
「ああ……ごめんよ、ずいぶんと奥の方にあったようだね。大変だっただろう?」
「いえ、別に――っ、ごほっ、げほ……っ」
「おや? 風邪かい?」
「大丈夫です。ちょっと、ホコリが喉に……」
俺がそう答えると、ノエル様はほっとした様子で微笑む。
「それならよかった。……ああ、そういえば流感の予防薬は毎日きちんと飲んでいるかい?」
「あ、ああ、はい。飲んでます」
「ふふっ、苦いお薬でも嫌がっちゃ駄目だよ? 万が一にも倒れられたら困るから君には多めに渡しているけど、処方量は合っているから安心しなさい」
「は……はい」
「事前にしっかり摂取しておけば罹患を防げるよ。今年は各地でかなり猛威を振るっているようだから気を付けないとねえ……皆に行き渡るよう、領内に卸す数を増やさないといけないかな」
ノエル様の言う通り、今はティリア国内で流感が広まっている。
罹れば即死ぬような病気ではないが、高熱や身体の痛みで長く寝付くことになるし、体力のない子どもや老人だと危険性は高まる。
病の苦しさをよく知るノエル様はどの領よりも早く対策を取り、アルドナート公爵家主導で予防薬を流通させたのだ。
(ノエル様の行いは、民のためになるとても立派なことだ)
公爵補佐として素晴らしい方だとよくわかっているし、こんな俺にまで気遣ってくれる優しさには感謝する。
だが……彼はやはり、生まれつき恵まれた高位貴族でしかない。
慈愛の心を以て惜しみなく民へ施すが、その施しが行き届かない場所があることを知らないのだ。
アルドナート公爵家がいくら相場より安価で予防薬を流通させようと、生きるのがやっとの民にとっては手の届かない贅沢品だ。
俺は自分用にと毎日余るほどもらっている薬を、食うや食わずの暮らしをしている下町の住人へと横流ししていた。
(まあ俺は今まで病気なんてしたことねぇし、大丈夫だろ)
嘘を吐いていることは心苦しいが、薬なんて飲まなくても倒れさえしなければいいことだ。

「…………ねえ、レオ。昨日の会議のことを父上から聞いたよ」
「っ、すみません……俺……」
「謝るということは、自分が悪いことをしたのだと理解しているんだね」
ノエル様は端正な眉を微かに寄せ、小さくため息を吐く。
「勝手な発言をしたとは、自覚しています。でも……!」
「間違ったことは言っていないと?」
「はい」
澄んだ緑の瞳がすぅっと細められるが、俺は逃げることなくその眼差しを受け止める。
「……そうだね。確かに、君の意見は正しいものだった。だけど、君はあの場で無能な諸侯をやり込めて、自分が気持ちよくなりたかっただけではないのかい?」
「そんなことは――!」
「ない、と言い切れるのかな。妾の子といつも蔑まれていた君が反撃できる絶好の機会だ。さぞ楽しかっただろう」
普段とまったく変わらぬ優しい声。柔らかな毒の針を無数に突き立てられるような感覚で、俺の喉は言葉が張り付いたみたいに声が出なくなる。
「君は正しいけれど、正論をぶつけることが常に正解ではない。あれでは要らぬ火種を生んで、公爵家への反感を募らせるだけだ」
そこには弾劾の響きもないのに、ノエル様の言葉を聞いていると身がすくむのは何故なのか。こんな静かな叱責でも、彼には敵うわけがないと思ってしまう。
「我ら血族にとって最も大切なことは、誇り高きアルドナートの血筋と家名を守ること。君は直系として認められてはいないが、仮にでもアルドナートの名を冠するのであれば立場を弁えなさい」
「…………はい。申し訳ありません」
もつれる舌を必死で動かし、辛うじて謝罪の言葉を音にする。
俺は自分が悪いことをしたとは思わない。間違っているのは、特権に胡座をかいて民を苦しめる貴族共の方だ。
だが……統治すべき相手を煽り、公爵家に無用な敵対心を作ったことは否定できない。
たとえ小さな不平不満であろうと、積み重なれば大きな綻びとなって反旗を翻される可能性だってあるのだ。
すべてはアルドナート家を守るため。
替えのきく下々の民はいくら犠牲を出しても構わない。誤りでも汚い手段でもいいから、特権を持つ彼らの機嫌を取ってうまく使え――ということだ。
(くそっ、最低だ。これだから貴族ってやつは嫌いなんだよ……!)
内心で渦巻く怒りを堪えて深く頭を下げると、ノエル様はいつものようにふふっと軽く笑って俺に手を伸ばした。
「やっぱり君は頭の回転が速くていいね。僕がいなくなった後も、ユーリの影となって支えてやっておくれ」
唇を噛み締め、床を見つめたまま首肯すると、白い指先が俺の髪についた蜘蛛の巣を優しく払った。


【3days ago】END

この館で最も敷居が高く感じる部屋の前で、俺はひとつ大きく深呼吸をする。
何度訪れても慣れないが、これもここで暮らす以上俺の果たすべき役目だと自分に言い聞かせた。
(よし、行くか……)
こちらを睨み付けている獅子を象ったノッカーに手を伸ばし、軽く二度打ち付ける。
程なくして内側からいらえがあり、俺もその声に応えるように名乗った。
「……レオです。失礼します」
限られた者しか入ることを許されていない部屋――公爵家当主の私室――へ足を踏み入れ、万一の時は次期公爵ともなれるようにと厳しくたたき込まれた教育通りの礼をする。
長々とした面倒臭い正式な挨拶も、今では間違えることなく完璧に発音できるようになった。
(中身はどうでも、俺がお貴族様の振りさえしてりゃ満足だろ)
目の前にいる人は、間違いなく俺の父親だ。
……だが、それがどうした。
高級娼婦を金で買い、一夜の楽しみを得る。生殖行動でもない性欲処理。出してすっきりする排泄行為と似たようなものだ。
金を使って子種を女の胎にまき散らしただけのこと。他の貴族の奴らだって同じようにやっている遊びのひとつ。
本当なら、商売女と子を引き取って姓を与えるなんて律儀に責任を取る必要などないのだ。
――跡継ぎの男子を求めるアルドナート公爵家当主でさえなければ。

「レオ、変わりはないか? 何か必要な物があれば、何なりと執事に申しつけなさい」
「いいえ、事足りておりますので結構です。……それより、御用があるとのことですが」
椅子を勧められ、一応は腰を下ろす。しかし、無駄話をするつもりはないし、一刻も早くこの場から立ち去りたい。
父上はこうして、たまに俺を呼びつけて他愛ない会話をする時間を取る。
俺の母親は愛人として今も寵愛を受けているが、その立場を笠に着て妾の子がずかずかと当主の私室にまで入り込んでいるなど……この館にいる誰もが良く思わないだろう。
これを知れば奥方様は烈火の如くお怒りになるだろうし、父上の立場が悪くなるだけだ。
俺の気持ちを察したのか、父上はすぐに本題へと入ってくれた。
「うむ……明後日の仮面舞踏会のことだが、お前はどうするつもりだ? 招待状の返事が来ないと主役の姫君が拗ねておったぞ」
「……当然欠席のつもりで、返信を失念しておりました。姉上の婚姻を祝うめでたい席にわざわざ俺が行く必要もないでしょう」
予想外の問いに頬が引きつりそうになったが、お貴族様らしい仮面は何とか剥がれずに答えられた。
父上が俺を呼び出した用件がこれなら、この調子でもう一押ししてさっさと退出してしまおう。
「不貞の子がご来賓の方々の目に付かない方がよろしければ、夜遊びにでも出掛けて留守にしておきますよ。姉上も……きっとその方が安心でしょうから」
「いや、待ってくれ、レオ」
席を立とうとした俺を引き留め、父上は悲しげに目を伏せる。
「辛ければ、華やかな場には出なくてもいい。だが、どうかお前も祝ってやってくれ」
「ですが、俺は……」
「あの子が娘でいられる最後の夜だ。皆からの祝いとアルドナート家での思い出を全て持たせて、送り出してやりたい」
厳格な公爵家当主の顔が、ひとりの父親としての表情を覗かせる。
この男がここに俺を呼び出して話をする時、たまに見え隠れする――仮面の下にある心だ。
「私も舞踏会の会場には出るつもりはない。控えの間からあの子を見守るから、よければお前も一緒に居てくれないか」
「…………?」
父上らしからぬ気弱な言葉に、俺は内心で首を傾げる。
(なんだ、この違和感は……? 迷い、いや……怯えている……?)
ざらりとした感覚が思考に引っ掛かっても、確たる答は導き出せない。
愛娘を嫁がせる父親というものは得てして感傷的になるのだろうが、それだけではないような気がした。

(最後の思い出、か……)
欠席して当然だと言いながらも返事を出せず、未練がましく机の抽斗に入れっぱなしだった招待状。
(なぁ、姉上……これも何かの運命かもしれねぇな)
父上とノエル様と姉上とユーリ様。それから執事と近衛騎士団長のクロヴィス。限られた人数しか鍵を持っていない控えの間なら、俺が父上と同席していても大して騒がれることはないだろう。
「わかりました。影ながらでよければ、共に祝います」
俺は渋々といった声色を作り、父上の頼みを承諾した。


【2days ago】END

一夜の夢を売る女は、ある日公爵様の子を身ごもりました。
十月十日を経て生まれた幸せの結晶は男の子。公爵様はたいそうお喜びになり、母子を引き取り自分と同じ姓を与えることにしました。
閉ざされた家――メゾン・クローズ――から、この国の王族に次いで高貴な血筋である特別な公爵家の一員へ。
公爵様との間に"男の子"を産んだだけで、まるでガラスの靴を履いたシンデレラのように女の人生はがらりと変化したのです。
『そしてみんな、すえながくしあわせにくらしました。めでたし、めでたし』

――誰もが夢見る幸せなおとぎ話ならば、そう締めくくられただろう。
だけどさ、現実はそう甘くねぇんだよ。

俺たち母子は公爵家に引き取られたはいいが、正妻である奥方様の激しい怒りもあって敷地の外れにある別邸に追いやられた。
ティリア王室始祖から分派した、第二の王族とも呼ばれるアルドナート公爵家の中に紛れ込んだ下賤の血。俺たちは誰からも蔑まれ、嫌われる。
聞こえよがしに囁かれる侮蔑の言葉、嘲笑。常に周りから向けられている悪意。
物心ついた頃から、俺はずっとそういうものに囲まれてきた。


■ ■ ■


痩せぎすでみすぼらしい、そのくせ目だけはぎらぎらした子ども。
かわいげの欠片もないその子どもは、唇を引き結び、両手の拳をぐっと握ってうつむく。

(ああ……あれは、俺だ)

確かに自分はそこにいるのに、外側からも見ている。
これは夢なのだと、俺は夢の中でわかっていた。
(また、この夢かよ……)
幼い自分を俯瞰で眺めながら、げんなりした気分になる。
長年繰り返し、何度も何度も見続けている明晰夢。
たかが夢だと毎回自分に言い聞かせるが、子どもの俺とそれを見ている今の俺が感じる苦しみは一向に麻痺してくれない。

涙だけはこぼすまいと、子どもの俺は再び唇を噛み締める。
「痛いよ……」
握り込んだ掌は灼かれたように熱を帯び、鋭い痛みを発している。子どもの俺が感じている苦痛が、今の俺にも等しく伝わってきた。
歴史、語学、経営学、数科学、生物学、芸術をはじめ高位貴族として必要な膨大な知識に、上品な立ち居振る舞い、話術。
病のため次期当主となれない長男の代わりを務められるようにと、半ば軟禁されるかのようにして厳しい教育を強制されている。
覚えが悪かったりほんの少しでも間違えれば、教師からの容赦ない仕置きが飛んでくる毎日だった。
「レオ・アルドナート。両手を上に向けなさい」
そう言うと、家庭教師は俺の掌を固い教鞭で執拗に打ち据える。
幾度も、幾度も……幼子の柔らかな手が赤く腫れ上がり、皮が破れて血が噴き出すまで。
鞭打たれた傷は刃物で切られた傷よりもひどく痛む。
肉体に負う怪我だけでなく、屈辱と支配される恐怖が心をぼろぼろに蝕んでいくのだから。

そして、ひとまずは最低限の教養がついたと教師に判断された頃――俺は、腹違いの兄と姉に会うことを許された。
「さあ、挨拶なさい。レオ」
「…………」
公爵家の長男長女は父上の傍らに立ち、新しい弟になった俺をじっと見つめている。
(ああ、この時の気持ちは一生忘れねぇな)
一対の天使のように光り輝く、完璧な造形。美しいその姿はとても自分と同じ人間だとは思えない。
それまでは何とも思っていなかったのに、自分が貴族の一員としてアルドナート公爵家にいることがどうしようもなく恥ずかしくてたまらない。
この二人の兄妹に対面した途端、この人たちと俺は全く違う生き物なのだと突き付けられたようだった。
「レオ?」
「あ……」
父上から促され、俺は緊張でからからに乾いた唇を開く。
「ご、ご機嫌麗しゅう存じます。あ……兄上、姉上……」
お辞儀の角度まで厳密にたたき込まれたというのに、声が震えて正しい発音を外してしまう。喉の奥が詰まったようになって、続く挨拶の言葉が出てこない。
こんな失敗をしたと知られればまた教師にきつく鞭打たれるし、挨拶すら満足にできない弟を見て二人もがっかりしたはずだ。
どうしよう、どうすればいいんだろう、とパニックになっている子どもの俺に同調し、今の俺も頭の中がぐらぐら揺れる。
(くそ……しっかりしろ、俺。これは過去の記憶でただの夢だ。今はもう、貴族の振りだってちゃんとできるだろ)
ひどい目眩に耐えかねて固く目を閉じたその時、優しい声が俺の耳にするりと入ってきた。

「ごきげんよう。初めましてのご挨拶をありがとう。あなたに会えてとても嬉しいわ」

公爵家のお姫様はスカートを軽く持ち上げ、ちょこんと膝を曲げて可憐な礼をする。
そして、緊張と混乱で呆然としている俺に微笑みかけた。
「あなたのお名前は? 私は新しい弟のあなたをどう呼べばいいかしら」
わくわくとした響きさえその声に乗せて、彼女は心から楽しそうな笑顔を向ける。
――弟の俺に会えて嬉しいと、嘘偽りなく告げてくれる。
あんなにも痛い鞭の傷にだって耐えられるのに、本気で泣き出しそうになったし……その場では辛うじて堪えたが部屋に戻ってから声を上げて泣いた。
人は痛くも苦しくもないのに涙が出るのだと、俺はこの瞬間に初めて知ったのだ。

夢の中で泣く小さな俺と同じように、眠っている俺もいつしか涙をこぼしている。
悲しいわけじゃないのに、胸が痛い。
目尻から雫があふれてこめかみを伝い、枕を濡らしていくのがわかる。
夢の中で触れる涙はこんなにも温かいのに、目覚めた俺が感じる涙はすっかり冷え切っている。その温度差はまるで心にぽっかりと大穴が空いたように、とても辛く感じるのだ。
(……畜生。だから、この夢は見たくないんだよ)
ほろほろと、とめどなく涙がこぼれる。
朝が来るまであと少し。俺は切なくも温かい夢に身を委ねた。


【1days ago】END

届いたばかりの真新しい礼服に袖を通し、姿見の前でタイを結ぶ。
王宮御用達の職人が仕立てただけあって寸分狂わず身体になじむし、着心地も抜群だ。
装飾品も合わせれば、これ一着でどれほどの値段だろうか。
(出席の返答はしたが、舞踏会の会場には入らねぇから新調しなくていいって言ったのに)
ノエル様の代理で社交の場に出なければならない度に、この手の服がクローゼットに増えていく。
無駄としか思えない贅沢にうんざりしてため息を吐きたくなるが、妾の子だろうとアルドナートの名を冠しているのであれば最低限の嗜みだと強要された。
「チッ、こういう物だけはきっちり届けやがって……」
下賤の者と関わることを嫌がって、この別邸には使用人も近付かない。
館の使用人たちを管理するのは正妻である奥方様の役目だ。俺たち母子は彼女から完全に敵視されているのだから、そういう命令になっているのだろう。
ハウスキーピングや食事の用意すらろくにされないのに、貴族というステータスを満たすためのアイテムだけは次々と与えられる。
俺のためではなく、アルドナート家のために。すべては、公爵家の名に恥じぬように。

「……アルドナート、か」
ティリア建国の始祖から分かれた、第二の王族とも呼ばれる高貴な血。
高位の継承権を持つが、それは形式上のものであって決して王位を継ぐことはない。
そして、アルドナート公爵家の姫君がティリア王室へ嫁ぐことは二度とない。
それはひとえに、400年前にアルドナート家からティリア王室へ嫁ぎ、王妃となった姫君が起こした凄惨な事件――その残虐な行いで民を恐怖に陥れた『血まみれ王妃』の伝説のせいだ。
それ以降、アルドナート公爵家の名はティリア王室内で腫れ物扱いされている。
始祖の血筋で王族と並ぶほど身分は高いが、自国の王権に関わらせることはできない。
だからこそ……ラウルス王太子との政略結婚の相手に、姉上が最適なのだ。

(なあ、姉上。もしも、アルドナート家がなくなっちまったらどうなるんだろうな)

俺はノエル様やユーリ様の代わりにならなくてもいいし、あんたは政略結婚なんてさせられず幸せに暮らせるのかな。

「もしも、アルドナート家がなければ――……」
俺は、影ではなく自分自身として生きられるのだろうか。
姉上は、自由になれるのだろうか。

「ははっ、馬鹿馬鹿しい!」
ぽつりと口から漏れてしまった自分の言葉をわざとらしく笑い飛ばし、俺は礼服一式に添えられていた箱を開く。ご丁寧なことに、流行最先端の仮面まで用意されていた。
正体を隠すといっても、仮面ひとつで全てが隠せるわけがない。
少しいけない遊びと秘密の夜を楽しむために。貴族たちによる暗黙の了解と、後ろめたさを払拭する象徴だ。
「悪趣味としか思えねぇな」
苦々しい気持ちで吐き捨て、俺は箱の中から鈍い銀色に輝く仮面を取り出した。

(わざわざこんな物着けなくても、もう俺はいくつもの仮面を被ってるのに――)

俺は鏡に映る自分の顔を見て苦笑する。
レオ・アルドナートの本心なんて誰も知らない。絶対に明かすつもりはない。
誰にも、知られてはならない。
代替え品としての人生を送ろうと――たとえ死んでも、この心だけは俺のものだ。

冷たい銀の仮面を装着し、俺は姿見に背を向けて歩き出す。
陽は落ち、宵闇が濃くなりゆく。
今宵は煌びやかに装った男女が秘密の匂いを纏う、華やかな仮面舞踏会の夜。
一歩、また一歩と進むごとに、運命の刻は近付いていた――。


【on that day】END